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ハリウッド外人記者協会(HFPA)

は毎年1月のゴールデン グローブ賞授賞式を開催するロスアンジェルス在住の記者の組織で発足したのは1928年,当時はハリウッド アソシエーション オブ フォーリン コレスポンデント(HAFCO )と言う名称で呼ばれていた。チャーリー チャプリンとメアリー ピックフォードと言った往年のスターたちが,ハリウッド ルーズベルト ホテルでインターナシヨナル ボール(舞踏会)に集まったのが当時のハイライトとして知られている。

1943年、英国の「デイリー メイル」の記者が率先して "宗教、人種の差別のない統一団体” と言うモットーのもとに,ハリウッド フォーリン コレスポンデンツ アソシエーションがスタートする。しかし,ハリウッドの映画産業はまだ外国マーケットの重要性を認識していなかっために,会員たちの努力は並大抵ではなかった。最初は会員の自宅で,カジュアルなインタヴユーが行われ,会員が増すに従って,ルーズベルト ホテルで集会が行われるようになリ、最初の大きなイベントは1947年の昼食会だった。この席上で当時のワーナー ブラザースの社長、ハリー M. ワーナーに表彰状が贈られた。戦後まもなくの食糧難のヨーロッパへ,食料、衣料、医薬用品を送る「フレンドシップ トレイン」の主要なスポンサーとして,ワーナー社長の社会福祉の業績を称えたのだった。

50年代になって,異なった文化や意見から,組織はふたつのグループに分かれ,ハリウッド フォーリン コレスポンデンツ アソシエーションとフォーリン プレス アソシエーション オブ ハリウッドとして平行して運行され,前者はゴールデン グローブ賞を,後者はヘンリエッタ賞(当時の会長の名前にちなんで)とややこしい状態になり,1955年やっと団結して,現在のハリウッド フォーリン プレス アソシエーションと名付けられ,きちんとした会員制度などのルールを設けたのである。

この頃のHFPAは画期的なアイデアに満ちていて,“ワールド フェイヴァリッツ” 賞などを設けて,世界中約900個の新聞社や雑誌社にラジオ局からの投票で,トニー カーティス、マリリン モンロー、レスリー キャロンなどが,この「世界中で最も愛されている賞」を受け,さらに  “ボン ボヤージ ランチ” と言う,会員の母国に撮影ロケーシヨンに行くスターたちとの昼食会でインタヴユーするなど、古き良き時代のスターとジャーナリストたちとの気楽なつながりが伺える。

HFPAの楽しい伝統のひとつは,ミス(又はミスター)ゴールデン グローブの選考で,有名人の子女,又は子息にゴールデン グローブの式進行の手伝いをしてもらうと言うプログラム。今までにローラ ダーン(ダイアン ラッドとブルース ダーンの娘),ジョーイ フィッシャー(コニー ステイーヴンスとエデイー フィッシャーの娘),メラニー グリフィス(テイッピ ヘドレンの娘),ロレーン ニコルソン(ジャック ニコルソンの娘),ミスター ゴールデングローブの方は、ジョン クラーク ゲーブルやフレデイー プリンス ジュニア, タイロン パワー ジュニアなどが選ばれている。

2013年1月に70周年のアニヴァーサリーを祝ったHFPAは現在55カ国を代表し,読者の数を合計すると2億5千万人,ヨーロッパからアジア、オーストラリアにニユージーランド,南アメリカ諸国から中近東まで地球をほとんどもれなくカバーしている。英国のデイリー テレグラフ紙、フランスのルフィガロ紙、イタリーのレスプレッソ紙、ドイツのヴォーグ誌、中国のチャイナタイムス紙,アラビア圏のクル アル オスラなどなどの記者が1年にインタヴユーする俳優/女優/監督/脚本家/プロデユーサーたちの数は約400人,加えて撮影のセット訪問のレポート,年間に見る映画の数は約300本。

会員は世界各地の映画祭を訪れて,興味深い外国映画を調べ,現地の映画人たちとの文化交流を計ると言う活動もしている。
毎月1度、会員のミーテイングがあり,会長と理事は毎年一度の選挙で選ばれ,毎年5人までの新会員の枠があり、全会員は基本条件として全米映画協会 (MPAA)のジャーナリストの資格を保持している。

Yoko Narita